2024/08/03 01:44


哲学には疎いですが、試みには惹かれます。時間と金があれば没頭してみたい。偶然的命題でしょうか。

さて、「適当」という言葉には2つの意味があるらしい。

① ある状態や目的に、ほどよくあてはまる。
② その場に合わせて要領よくやる、いい加減。

要するに現代では

① しっかりと、正しく、ふさわしく
② ゆるーく、なんとなく

ってことらしいのですが、言葉としては同じ「適当」。なんだそれって思いませんか。②はカタカナの「テキトー」と表されますが それも考えてみれば、なんだそれ、です。「適当」度合いが深ければ「適当」に近づき、「適当」度合いが浅ければ「テキトー」に近づく、そんな物差しのような言葉なのでしょうか。どっちの意味で捉えるかは場面で判断?いやいやそれこそテキトーか。

でも、ちょっと待てよと。完全に個人の意見ですが、「テキトー」だけど「適当」な人ってカッコよくないですか。

〈いい加減にやってるけど、なんかシックリきちゃう人〉〈別に気なんて遣っていないけど、気を遣える人〉〈狙ってないけどオシャレ〉〈爆発なのに芸術〉…ちょっと逸れてきた気がするな。

もしかして、主観は「テキトー」にやってるけど、客観は「適当」になっている人ってことなんですかね。計らずも。そうなると、いつまで経っても主観が「テキトー」だから再現性がないってことになる。悲しい。

おのれ自身の「テキトー」境地を切り拓こうと意識した瞬間「適当」に寄る。なんか量子力学みたいですね。素粒子の振る舞いみたいな。シュレーディンガーの猫のような。

適当すら且つ之を意識す。
況んやテキトーを乎。

考えてみたけれど、もしそんな感覚でひとつの「適当」という単語になっていたとしたら、深すぎません?単語ひとつとっても可能世界論のような解釈ができて、真や偽の命題がある。宇宙を感じざるをえない。

余白というか矛盾というか趣というか。

2024年 吉日
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